宗石作とんぼ彫絵茶盌        保田憲司

 去年、と云っても二月ほど前だが、大阪美術倶樂部で日本陶磁協会大阪支部の主催で「古信樂名品展並ニ研究大会」が開催され、茶陶として名高い古信樂作品の数々が陳列公開されたが、其中で特に来会者に注目され讃嘆された一個の茶盌があった。解説には「信樂宗石作。とんぼ彫絵茶盌」としてあった。
 此茶盌は非常な貴重資料であるばかりでなく茶道界では珍品に属するもので、今日でこそ「世界陶磁全集」に採りあげられ又本年二月号の日本唯一の専問雑誌「陶説」誌上に発表されて有名になったが、私がこれを発見研究し始めた昭和十七年頃には全くどれ程の古さか、従って日本茶陶界にどんな位置を占めるのか、宗石とは陶工か茶人か。はたして何處で焼かれたのか。ということが何一つ分らなかったのである。然しこの十数年間の研究で今度の大会でほゞ充分に解説出来るまでになったが、それは余りに専問的であるから茲では極く簡単に解説するが、時代は桃末江初で約三百五十年前頃のもので宗石とは京都の豪商の主人であり、奈良の有名な大茶人「松屋久重」や当時の高名人と交際のあった人であることが解り、信樂焼が好きで自分も遂ひに手造りを創め、それもアノ荒っぽい粗末なものでなく「美陶信樂」として一の新しい境地の開拓を行った作品を数々造りヌそれら自作品一切で大茶会を催したりしてゐることが分ったのである。又現在のことを云ふと、芦屋に三個、堺に一個、東京に二個そして大阪に此一個、計七個しかないもので、就中この茶盌は総体無疵、全く微瑕なく、焼き上り最もよろしく、これでも三百五十年も前の製作かと一驚する程に生々とし茶筌ずれ一本さへもない麗しさである。
 私はそれよりも此茶盌の正面に象眼手法で彫出された「とんぼ」の絵の面白さに心が惹かれるのである。茶盌はほゞ三角に近い所謂「沓形」で形から云へば「織部風」であるが、釉は古瀬戸の金気釉や古膳所焼の金茶鉄気と一味通ずる澁い黒艶金気釉の一重掛けである。
 其中に一匹の飛翔とんぼが眞白釉(長石單味)で彫りこまれて居るのであるが、それは洵に象徴的であり乍ら、ぢっと見ていると現実的にスーイスイと碧く澄んだ秋空へ飛びあがって行く様に見えるのである。写真の如く茶盌を平面に置くと「とんぼ」の絵の角度は僅かに上昇線を辿っていることが解るが、これを一分間位看詰めてさて目を閉じると「とんぼ」は其まヽに引つヾいて空へ空へと高く昇って行く様な幻覚にとらはれる。これが此絵、この作に生命のある處で、茶禅の所謂「静中の動」なのである。そして茶を点てヽ喫まんとする場合は極めて静かで少しも喫茶の邪魔をしない寂かさにある。之が即ち「動中の静」である。これは單なる心理的な錯覚でなく古来からの「眞の芸術作品」と云うものは皆これ程の不可思議なカを藏していることは私が今更説明するまでもなからう。これを俗説化すると左甚五郎の夜鳴き猫とか水呑み龍とかいう講談噺にもなるのであるが、之を云ひかへると「眞なる芸術は人の心を動かし其感動は神に通じ、法悦の境に遊ぱせるもの」である。

 たかが一個の土製の抹茶々盌と云ひ給ふ勿れ。昔は一国一城と換へた人もあり、危く命を拾ふた人もあり、現今でも一盌によく何百万金を実際に投じている人々も掃くほどもあるのである。天下の美姫を擁することもよかろうが、愛陶家は極愛の一盌によく自己の一切を托することも喜んでするのである。

 森傳吉(森林株式会社会長)氏にまだ面識の機もないが非常に愛陶家といふことは承って居る。この愚稿をみて微苦笑さるヽか、幾分の共鳴を感ぜられるか知らぬが、たまたま「とんぼ彫絵絵茶盌」の解説を嘱されて一筆斯くの如くに候、といふ訳である。
        =三三・一・二九稿=

   (昭和33年4月 森林商報 新63号)

【保田憲司(ヤスダ・ケンジ)】
古陶磁器研究家。日本陶磁協会理事、大阪陶磁文化研究所長等歴任。

保田憲司:『宗石作とんぼ彫絵茶盌』   自筆原稿
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