蜻蛉の産卵と方言      岡田一二三

 みちのくの秋は、赤トンボからやってくる。赤トンボの腹部がだんだん赤く色づいてくる頃、夜の涼しさにも、空の色の清澄さにも、秋の魁を感じる。この赤トンボが、田園を群がって飛ぶ頃にもなると、もう秋の色はかくし切れない。雄に雌が連って、腹端で水面を叩いて産卵する赤トンボを見ていると、郷愁にさそわれたりする。誰しもが持っ人情なのであろう。
 トンボが腹端で次々に水を叩いて産卵するのを見て、私達はこれを連続打水産卵と呼んでいるが、一般に赤トンボ類やシオカラトンボのトンボ亜科のものは、この連続打水の方式で産卵をやっている。この方式の中でも、ノシメトンボは水面ではなく稲の穂の出そろった穂先のあたりの高さで、連接のまま、この動作をしているのを見かける。これは、打水ではなくて打空である。だから連続行空産卵とも云える。しかし、これ等はどれも、ドンブリコをしていると云って差し支えないようである。こゝで云うドンブリコと桃太郎の生れた桃のドンブリコと北海道の松前で云うトンブリ、コとは、少し趣を異にしている、とは云っても、殆んど同じ形容である。
 兎に角、そんなことはどうでも良い。子供達はこの連続打水をドンブリコだと云った。それが、東北に広く分布する方言ダンブリコになったのに間違いがない。子供達が連続打水をドンブリコドンブリコと云ったのを考えて見ると、これほど世にぴったりした表現がまたとあるだろうかと思われる。動作と言葉がよくも一致している。然し、同じトンボ科のものでもエゾトンボ亜科のものは連続打水をやらないで、滑翔打水の産卵をする。ところが、オニヤンマになると、腹端を水中に入れて直立しながら律動的に産卵する。直立飛翔水中産卵或いは水底産卵とでも云わなければならないものである。
 以上のような産卵は、私選が日常、観察することが出来る普通のもので、ドンブリコと云うにふさわしいものであるが、よく見掛ける産卵で、ドンブリコと云えないようなものも見られる。例えばオオルリボシヤンマの産卵がそれである。静止のまま腹端を水中に入れて行うので、トンブリと云うには、あまりに静かな動作であろう。
 このようなドンブリがなまってダンブリになった。東北地方でダンブリとトンボを呼ぶ地方が非常に多い。その他、だんぶろ、だあぶり、でえぶろ等もダンブリと同じ呼び方と考えると、更に多くなる。
 然し、ダンブリの呼稱もだんだんとトンボと呼ぶように変って来ている。こゝ十年間の間トンボをアケズと呼ぶ地方が無くなってしまったように、ダンブリもやがてトンボとなる時も、そう遠くのことではなさそうである。ついこの間、旅行の途次に、トンボの呼び名に気をつけて見たら、和名トンボが随分多くなって、方言ではダンブリという呼び名が常識となっていた。変っていたのは、山形県金山町のアケゴ(ゴは鼻濁音)だけであった。方言のダンブリが非常に広く分布しているのに対して、各々の種類の呼び名になると全く小地域に限られていて、同じ村、同じ町の中でも異る地域では通用しなものが多いのは意外だったと思う。

   (昭和34年10月28日 森林商報 新70号)

●筆者は青森県五戸中学校教諭をつとめ動物の研究を専攻。東北地方の方言ダンブリはドンブリに由来し、トンボの語原はドンブリ又はトンブリに由来するということを主張した。なお、トンボに関する語原、その他の報文が十余篇に及んでいる。


岡田一二三:蜻蛉の産卵と方言  自筆原稿
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