簪           森田たま
つばくらや廣くなりたるあきつ島
 昭和十七年の初夏、南方へ旅立つ人にはなむけて、石塚友二さんの咏んだ句だけれど、日本が廣かったのはそれから二年の間だけで、昭和二十年にはすっかり狹い国になってしまった。帰る雁せまくなりたるあきつ島 では句にもならないが、いかに狹くならうとも、あきつ島を愛する心に変りはなく、むかしうちの長男が庭のある関西の住居から、庭のない東京の借家へ引越さうとした時、いいわそんなら坊やは土を握って遊ぶからと云ったことがあるが、まったくいまのわれわれは土を握って暮らさうといふ気持ちである。廣くそとへひろげずとも、深く地の底へ掘りさげて行ったら、われわれの生活も根強いものになるかもしれない。
 勝利のシムボルと云はれたトンボ絣は、すっかりかげをひそめたやうである。しかし私は相変らず、トンボ玉の簪一本、いてふ返しの根もとにさしてゐる。日本がいかにせまくならうとも、トンボを愛する自分の気持ちには変りがない。私は死ぬまでこのトンボ玉の簪をさしつづける事であらう。いつの日かまた廣くなりたるあきつ島となるを念じつつ。………
  (昭和29年2月22日 森林商報 新28号)

【森田たま(1894ー1970)】
 随筆家。札幌生まれ。1962年、参議院議員当選。「着物・好色」「もめん随筆」「ぎゐん随筆」など。

森田たま:簪   自筆原稿
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